「穏やかな時間 10のストーリー」でご紹介するのは、長期療養病床を持つある病院で繰り広げられた内容を元にした、架空の物語です。患者さんの目線で展開しているので、この方たちの旅立ち前の気持ちを想像できるようになっています。最期までその人らしい生活のために、そして残されるあなたの心穏やかな看取りのために。これを読まれた方が、人生の最期にどうするべきなのか、答えを見つけることができますように。

8年前、夫を亡くしてから一人暮らしをしていました。しばらく塞ぎこんでいた私を支えてくれたのは、仲の良い友人でした。料理が得意な私は、みんなを自宅に招いては一緒に食事をするなど、充実した毎日を過ごせるようになったのでした。

80歳を過ぎた頃、なぜか手足に力が入りにくくなったのです。パーキンソン病でした。

料理もできず、友人と会うこともしなくなった私は、一日の大半をぼんやりと過ごすようになりました。部屋の片付けも億劫になり、家はまるでゴミ屋敷のように。久しぶりに訪れてくれた娘にも、大きなショックを与えてしまいました。

病院で診断を受けたときには、一人での生活は困難な状態でしたが、投薬とリハビリでしか治療法がないため2週間で退院を迫られました。転院先はリハビリ病棟で、少しでも回復することを目指して励みましたが、病状の進行のほうが早く、自力でトイレにも行けなくなるまでに。希望が見えないリハビリは大変辛く、本当に疲れてしまいました。

私の様子を見かねた娘は、リハビリを止めて別の場所で穏やかに暮らすことを提案してくれました。できれば一緒に暮らしたかったのですが、娘は義理の両親と同居しているためそれはできません。残り少ない人生を過ごす場所を、たらいまわしのように転々としたくないという気持ちは、私も同じでした。

そこで、長期療養ができる新たな病院を紹介してもらいました。ここなら病状が悪化しても安心です。とにかく、別の場所に行けるだけでもホッとしました。

新たな入院先での生活は、これまでとは違ったもので、自分のペースで穏やかに過ごすことができました。スタッフが私を寝たきりにするのではなく、車椅子に座らせて、毎日のように院内のお茶会やクラブ活動に参加させてくれたのです。正直最初は、「つまらない」と思っていました。楽しんでいる人を眺めるだけなんて。それでもスタッフの方は毎日連れて行くのです。

そうしているうちに、私の気持ちも変わっていきました。自分で「やってみたい」と思えるようになったのです。うまくはできませんが、貼り絵やぬり絵にも挑戦しました。新しくできた友達と話に花を咲かせることもありました。こうした毎日が、知らないうちにリハビリになっていたのですね。今思えばそれはスタッフの方たちの私を元気付ける作戦だったのかもしれません。

流動食だった毎日の食事も、普通食を食べられるようになりました。これなら食材の色も形も楽しめます。料理をしていた頃の自分も思い出すようになりました。

気分が良くなると、人間とは欲深いもので、あれこれやってみたくなるものですね。車椅子での散歩中に、昔を思い出して、子どもの頃のように土の上を裸足で歩いてみたくなったのです。この想いを漏らした数日後、病院のスタッフが私を外で開かれるランチ会に連れ出してくれました。青空の下で食べるお弁当の美味しかったこと。素材の味を噛みしめながら、自然と笑みがこぼれていました。それだけでも幸せでしたが、会が終わりに近づいたころ、スタッフの方が突然私を裸足にしました。そして、両脇を抱えて地面に立たせてくれたのでした。願いがかなった瞬間でした。

ほんの些細なことですが、これほどまでの大きな幸せはありませんでした。それから数週間経ったある日、緑薫る風と輝く朝日に包まれながら、家族とともに過ごしたのが私の最期となりました。

あの時、穏やかに過ごすことを選択しなければ、こんなに素敵な旅立ちはなかったことでしょう。親孝行な娘に、感謝を伝えないといけませんね。

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