「穏やかな時間 10のストーリー」でご紹介するのは、長期療養病床を持つある病院で繰り広げられた内容を元にした、架空の物語です。患者さんの目線で展開しているので、この方たちの旅立ち前の気持ちを想像できるようになっています。最期までその人らしい生活のために、そして残されるあなたの心穏やかな看取りのために。これを読まれた方が、人生の最期にどうするべきなのか、答えを見つけることができますように。

今ほどタバコに嫌悪感を示されなかった時代に、私は生きていました。タバコを愛し、死ぬまで吸い続けると普段から回りの人たちに豪語していました。

筋萎縮生側索硬化症(ALS)という難病を患っていました。ALSは、感情や感覚は元気なときの状態を保ったまま、身体だけが思うように動かなくなる病気です。例えば、かゆみを強く感じたとしても、自分では身体を全く動かせないのです。それは苦痛で、堪りませんでした。日々ストレスだけが積み重なっていくのです。60歳を過ぎた頃からは手も足も自分の思い通りに動かなくなっていました。元気なときはそれほど気にならなかったのですが、枕の位置や、寝ているときの姿勢など、自由に身体を動かせないと、些細なことまで全てがストレスとなるのです。妻はそんな私を賢明にサポートしてくれました。

この病気はいずれ呼吸をすることさえも難しくなってきます。ある日、医師から「人工呼吸器」についての説明を受け、私は「人工呼吸器を付けない」という選択をしました。このわがままに、妻も同意してくれました。最期まで、自分の力で生き抜きたかったのです。同時に、この選択は常に介護が必要となり、妻と二人きりの生活は限界であると感じたのです。残された時間を考え、終の棲家を探すことになりました。

妻はいくつか介護施設を当たってくれました。私は自分の意志を貫くために、半分あきらめの心境で、許可などしてもらえるはずもない「喫煙」を条件として提示したのでした。

ある日、妻から受け入れ先が見つかったとの知らせが。そこは、長期療養するための病院で、まさかの「喫煙」許可が出たとのことでした。一日3回までではありましたが、病室近くに設置してくれた喫煙場所で吸ってもいいと。信じられないことに、私の無茶な希望を受け入れてくれたのでした。半信半疑で入院したその先では、長年連れ添った妻がしてくれていたことを引き継いで、私の日常を快適なものにしてくれました。とても神経質な性格だったので、本当に大変だったと思います。

毎日の喫煙時間には、スタッフの方が付き添ってくれました。生涯の相棒でもあるタバコを吸うことは、嫌煙者には理解できないでしょうが、生きていることを実感できる瞬間でもありました。恥ずかしながら、タバコを吸っているときの表情がいちばん幸せそうだといわれたこともありました。それくらい、タバコと私は切り離せないものでした。

通常であれば、すでに喫煙を禁止されていてもおかしくない症状であったと思います。身体は動かなくても生きている証が欲しかったし、わがままを言うことで、私の存在意義を確認しておきたかったのかもしれません。しかし、不思議なものですね。それからしばらく経ったある日、これ以上必要ないと感じるようになったのです。ついに、私は自分でタバコを止めました。

その日から残りの一ヶ月間は、タバコを吸わなくても満足感で溢れた毎日でした。もちろんタバコを止めるも自分の意志です。吸い続けたことによって、もしかしたら命は縮まったのかもしれません。でも、後悔などありませんでした。自分の最期を自分で決められたのですから。

わがままに付き合ってくれて、本当にありがとう――

心に残っていたのは、寄り添ってくれた妻や病院の方々への感謝の気持ちだけでした。

※2010年2月に厚生労働省の通知「受動喫煙防止対策について」が発出され、公共施設における全面禁煙を目指す方向が打ち出された。また2018年7月より「健康増進法」が改正され、望まない受動喫煙の防止を図るため、多数の者が利用する施設は原則屋内禁煙となり、2019年7月より改正健康増進法が一部施行され、医療機関は敷地内禁煙となりました。よってこのストーリーはそれ以前のものです。

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