「穏やかな時間 10のストーリー」でご紹介するのは、長期療養病床を持つある病院で繰り広げられた内容を元にした、架空の物語です。患者さんの目線で展開しているので、この方たちの旅立ち前の気持ちを想像できるようになっています。最期までその人らしい生活のために、そして残されるあなたの心穏やかな看取りのために。これを読まれた方が、人生の最期にどうするべきなのか、答えを見つけることができますように。

脳梗塞とは、残酷なものです。目覚めたときには、自力で身体を動かすことができませんでした。笑うことすらできません。命があることを感謝すべきなのでしょうが、人生が終わったのと同じでした。

搬送先の病院では、「胃ろう」が作られました。栄養がお腹の中へ直接注がれるようになり、食事は味気ないものになりました。生きることと引き換えに、大好きだった食べる楽しみを奪われたのです。

転院先では、看護師さんが私の歯を毎日磨いてくれました。虫歯や歯周病の予防が、健康を守ることにつながるそうなのです。この歳で自分の歯がほとんど残っていることは自慢でした。でも、食べられないのだから何もせずにそっとしておいて欲しいというのが、私の本心でした。それでも一日3回繰り返されるのでした。

ある日の歯磨きで、とても爽やかな香りがしました。レモンでした。果汁を歯ブラシにつけて、磨いてくれたのです。また別の日には、コーヒーの香りが口元に広がります。綿棒の先に含ませて、唇に当ててくれたのです。大好きな香りに気分が安らぎ、強張っていた表情が少し柔らかくなったのでしょう。スタッフの方に「素敵な笑顔ですね」と言われました。倒れたことで忘れてしまっていた「味わう」楽しみを思い出した瞬間でもありました。

不思議なもので、味わうことを思い出すと、心も身体も反応してくれるのです。少しずつですが、口元が動かせるようになりました。そして、挨拶程度の簡単な言葉を話せるようになったのです。食べることはできませんが、言葉で意思表示ができるようになったことで、勇気と元気が湧いてきました。

それからしばらく経った頃、病院内でお祭りが開催されました。私も家族と共に車椅子で屋台を回っていました。すると、芳ばしいお好み焼きのにおいがしてきました。どうしても食べてみたくなりましたが、できません。美味しそうに食べる人たちを複雑な気持ちで眺めていると、側についていた看護師さんが「食べたい?」と聞いてきたのです。普通なら、食べられない私にそんなことを聞くなと憤るところでしょう。このときは違いました。食べたい気持ちが強すぎて、思わず「うん」と頷いていたのです。

この答えを待っていたかのように、ペースト状にしたお好み焼きを用意してくれたのです。口の中へ運ばれたそれは、昔食べた「お好み焼き」そのものでした。うまく飲み込めるか不安でしたが、無事にゴクンとできたのです。もう止まりません。屋台に出ていたかき氷も食べてみたくなりました。懐かしいレモンシロップの味は、甘酸っぱくて最高でした。この日の出来事を、家族やまわりのスタッフの方々は、自分のことのように喜んでくれました。脳梗塞に倒れたとき、命を救ってもらえて本当に良かったと思いました。

そこから普通食を食べられるようになるまでに、時間はかかりませんでした。好きなものを食べたり飲んだりできることが、人生の励みとなりました。「胃ろう」はつけたままでしたが、ここから栄養を摂ることを、望むことはありませんでした。

不思議なもので、穏やかな生活を送っていると、人生の終わろうとしていることが自分でも分かるのです。身体は自然と栄養を必要としなくなってきました。あれほど旺盛だった食欲もなくなりました。私は人生に満足していたのです。

意識が薄れてきたとき、なぜかお祭りのときに食べたかき氷を思い出しました。妻が、レモン果汁を含んだ綿棒を、唇に当ててくれたのです。感謝の気持ちを伝えようと、妻とアイコンタクト、やさしい妻の眼差しに見守られながら、私の最期となりました。

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