「穏やかな時間 10のストーリー」でご紹介するのは、長期療養病床を持つある病院で繰り広げられた内容を元にした、架空の物語です。患者さんの目線で展開しているので、この方たちの旅立ち前の気持ちを想像できるようになっています。最期までその人らしい生活のために、そして残されるあなたの心穏やかな看取りのために。これを読まれた方が、人生の最期にどうするべきなのか、答えを見つけることができますように。

私は、もともと気が強く、何でも自分でやらないと気がすまない人間でした。乱暴な言葉遣いに、誤解されることもしばしば。人付き合いも苦手でした。そんな私が唯一愛したこと――それは、阪神タイガースでした。勝利の後は仲間とともに喜ぶなど、無邪気に楽しめるひとときでした。

そんな私を、ある日突然脳梗塞が襲ったのです。

病院で目覚めたときは身体を自由に動かすことができなくなっていました。人の手を借りないと何もできない生活は、人に頼ることに慣れていない私にとって、苦痛そのものでした。無機質な病室で入院を続けていると、ストレスしかありません。自由気ままに自分のペースで生活をしたかったのですが、左半身に麻痺が残っているので、日常生活も困難です。かといって、娘はフルタイムで働いているので、お世話になることもできません。そうこうしているうちに入院期限が近づき、退院せざるを得なくなりました。そこで紹介されたのが、療養病棟のある病院でした。

再び病院での生活が始まるのかと思うと、うんざりしました。病院のスタッフや他の入院患者さんたちは、色々話しかけてくださいます。そうした気遣いはとても嬉しかったのですが、友達があまりいなかったのでどうすれば良いのか分かりません。ついぶっきらぼうに返してしまうのでした。ひとりになりたい私の入院生活には、楽しみなどありませんでした。

あるとき、スタッフが他の患者さんとタイガースの話をしているのが耳に入ってきました。そういえば、季節はプロ野球の開幕シーズンです。新聞やテレビを自由に見ることができない私は、どの選手が活躍しているのか気になりました。つい二人の会話に割って入ったのです。しばらく会話をしてから、普通にしゃべっている自分に気がつきました。照れくさかったのですが、これだけは譲れません。タイガース仲間がいることが分かると嬉しくなり、一気に心の壁が取り除かれたのでした。

入院生活は、楽しいものになりました。スタッフはスポーツ新聞を読み上げてくださり、ベッドのまわりにも応援グッズを飾ってくださりました。私の周りはどんどん黄色と黒に埋め尽くされていくのでした。私もようやく自分らしさを取り戻したような気がしました。

このまま回復できればと期待を持ち始めたころに、恐れていたことが起こりました。脳梗塞が再発したのです。

目覚めると、全身動かすことができませんでした。「運動性失語症」も発症し、言葉を話すこともできません。この事実を知ったときには、落胆しかありませんでした。せっかくスタッフや他の患者さんとも楽しい毎日を送ることができていたのに、何もできない寝たきりの生活が始まるのです。声にならない声を上げて、長時間泣き続けました。大好きなタイガースもさよならです。生きる意味がなくなったのです。

しかし、こんな私を誰も見捨てませんでした。リクライニング式の車椅子で、毎日散歩させてくれるのです。ある人は、ベッドの横に座ってはタイガースの記事を読み聞かせてくれました。身動き一つできない私を、私らしくいさせてくれたのでした。

時は経ち、私自身いよいよ最期の時が近づいたと実感し始めたころ、呼吸をすることさえ疲れてきた私に、どこからともなく「六甲おろし」の歌声が聞こえてきたのです。スタッフが私の家族とともに、ベッドを囲んで大合唱です。歌声を聞きながら、「人生最期の旅立ちの時に六甲おろし?何とも私らしい人生の幕の下し方だわ」とクスッと笑ってしまうぐらいでした。その後、薄れていく意識の中、六甲おろしというぬくもりを感じながら、とても幸せな気分で旅立ちを迎えることがきたのです。最期まで私らしくいられたことに大満足の人生であったと・・・私も、私の家族もそう思える最期となりました。

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